700
747
1740
1775
1777
1813
1818
1825
1857
1875
1878
1885
1888
1890
1893
1906
1915
1953
1963
1966
1976
1977
1986
1995
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文武 4
天平19
元文 5
安永 4
文化10
文政 元
8
安政 4
6
明治 8
11
18
21
23
26
39
大正 4
昭和28
38
41
51
52
61
平成 7
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大下田(原町)にて須恵器が焼かれる。
正倉院文書に「伊予砥」が課徴された記憶あり。
大洲秘録に砥部焼の名称があり、陶器が焼かれていた。
大洲藩主加藤泰候が、砥石屑を用いて磁器創業を命じる。
杉野丈助が磁器の焼成に成功する。
大洲藩の経営であった上原窯を門田金治が譲り受ける。
向井源治が五本松に窯を開く。
向井源治が川登陶石を発見する。
亀谷庫蔵が、肥前より錦絵の技法を伝える。
唐津役所(新谷)、瀬戸物役所(大洲)が設置される。
万年陶石が発見される。
五本斉が肥前より陶工を招き、型絵染付が伝わる。
砥部焼の清国(中国)への輸出が始まる。
下浮穴・伊予両郡の陶磁器同業組合が設立される。
愛山窯で淡黄磁を焼き始める。
シカゴ世界博で淡黄磁が入賞する。
神戸の貿易商・池田貫兵衛が砥部焼の直輸入を始める。
村立砥部工業従弟学校が設立される。
柳宗悦、B・リーチ、浜田庄司が来町し、砥部焼の指導をする。
県立窯業試験場が五本松に移転される。
物産館において、天皇皇后両陛下砥部焼をご視察。
砥部焼が国の伝統的工芸品の指定を受ける。
国土庁より伝統産業都市モデル地区指定される。
伝産シリーズ記念切手の図案に古砥部焼が二点選ばれる。
砥部焼地球儀「生命の碧い星」ジュネーブ国連欧州本部に設置。
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